日本初のパルクールパークが2016年で閉所した理由

昨日のブログでは過去記事を紹介し、その中で2015年に日本初のパルクールパークが実は密かに開所され、そして密かに閉所していたことをお話ししました。


今日はその閉所した理由について、5年越しに公の場で話します。


理由はめちゃくちゃシンプルです。


近隣の悪ガキたちが夜な夜な集まって悪いことをしていたからです。


屋外だったし、正面入口はロープで閉じているだけで、ほぼほぼ、ただのコンクリートづくりの公園か広場みたいなところだったので、誰でも入ろうとすれば入れてしまう状況でした。


おかげでタバコの吸い殻や何か液体の入ったビニール袋などが捨てられていることが結構ありました。近隣住民からの苦情や町からも注意を受けたこともありました。また、2015年の私はパルクールをやりたい人を増やす活動の前にパークを作っちゃったもんだから、利用者が少ないのなんのって、もう経営自体出来るレベルじゃなかったってのも事実でした。


だからこそパークを閉所後、2016年に会社を興してからは、まずはパルクールを知ってもらうこと、パルクールをやりたいと思ってくれる人を増やすこと、この2つを頑張りました。


その結果、NAC-Sという社会体育団体が有志で出来上がり、……


……とまぁ、いろいろあって今に至るわけです。


日本初のパークは、まさかの近隣トラブルで閉所って感じでしたが、でもそれは私の中ではめちゃくちゃ勉強になった一件でした。


でも、あのパークを作るために、当時たった4人で「やろうぜ!思いっきりパルクール出来る場所作ろうぜ!」って意気込んで始めたあの時は、楽しかった。


ヨシキさんのお父さんが手伝いに来てくれたり、拓也と1日中ひたすら砂利を集めたり、サリーと電動ドリルでコンクリートはがしたり、コンクリ混ぜたり、コンクリで造形みたいなの作ったのも、あの時が始めてだったな。


プレオープンなんか、熱中症で死人出るんじゃないかって思うくらい暑い中でみんなパークにテント張って泊まって、夜中まで話して、みんなで歩いて風呂屋まで行って、また歩いて帰ってきて、めっちゃカエルの鳴き声がすごくて蚊も多くてさ。全然不便だけど、初めてトレーサーが誰にも何も言われない、気にしないでパルクールが出来る環境に居れて、楽しかったなー。


ああいうの、またやりたいな。


どうしてもお金を稼ぐこととか、ビジネス的な要素って外せなくなってしまっているけど、俺は将来、ああいうことをまたやりたいと思っているし、またやる。


ゼロから生み出したものが、トレーサーのためになった実感を知っているから。

だから、俺はまたトレーサーのために何かやりたい。

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